アジレントのマルチオミクスソリューションによるイネ種子に対する低レベルガンマ線の影響の解明

S. A. Deepak、アジレントアプリケーション開発サイエンティスト

ガンマ線などの電離放射線は、生物の成長と発達に重大な影響をおよぼします [1]。2011 年 3 月に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波は、福島第一原子力発電所 (FDNPP) におけるメルトダウンへと発展しました。このメルトダウンにより、この地域の一部で生産された農作物に放射線核種による汚染が観測され、日本は 2012 年から 2013 年に渡り、これらの農作物の消費制限を余儀なくされました [23]。この記事では、汚染土からの低レベルガンマ線に長時間曝露されたイネ種子に生じる変化について取り上げます。この調査では、アジレントのマルチオミクスソリューション (図 1) で提供されるデータ統合機能とそこから得られる知見を利用しました。

図 1. 遺伝子発現および代謝物の分析とその後のマルチオミクスデータ統合によりイネの放射線ストレスバイオマーカーを特定する効果的なワークフロー

図 1. 遺伝子発現および代謝物の分析とその後のマルチオミクスデータ統合によりイネの放射線ストレスバイオマーカーを特定する効果的なワークフロー

図 2. イネ種子への低レベルガンマ線曝露によりイネに差次的に発現した代謝パスウェイ。A) フェニルプロパノイド生合成パスウェイ、B) 脂肪酸代謝パスウェイ。

図 2. イネ種子への低レベルガンマ線曝露によりイネに差次的に発現した代謝パスウェイ。A) フェニルプロパノイド生合成パスウェイ、B) 脂肪酸代謝パスウェイ。

FDNPP 原子力災害後に福島県飯舘村米作地の放射性核種汚染土で栽培されたイネ (イネ品種コシヒカリ) を採取し、土壌の放射線レベルをゲルマニウム半導体放射線検出器で測定しました。収穫した種子の放射線も測定したところ、許容限度 (100 bq) 未満であることがわかりました。対照群として、南相馬市で栽培された同種の多様なイネ種子を使用しました。

防御関連パスウェイを誘発する遺伝子の特定

アジレントのイネカタログマイクロアレイによる包括的な遺伝子発現プロファイリングとAgilent GeneSpring ソフトウェアによる統計的差分解析により、低レベルガンマ線に対してイネの 2,331 種類の遺伝子が反応することが判明しました。これらの遺伝子は、植物防御、細胞壁合成、二次代謝物生成、脂肪酸代謝、抗酸化、およびエネルギー循環の各パスウェイに属していました。また、二次代謝 (フェニルプロパノイド) および脂肪酸代謝パスウェイに属する遺伝子の多くは、顕著に発現上昇していました (図 2)。

フェニルプロパノイドパスウェイでは、細胞壁を強化するリグニンの前駆物質モノリグノールが生成されます。リグニンは、部分的に芳香族の性質を持つため、ガンマ線に対する耐性があることがわかっています [4]。PR10 発病関連遺伝子では、発現の上昇が見られました。この遺伝子は、チェルノブイリ原子炉敷地周辺の立ち入り禁止区域から採取した放射線核種汚染土に曝露されたイネの葉において、放射線ストレスの潜在的マーカーとしても特定されています。全体として、上流および下流パスウェイ遺伝子の発現と代謝物との間に正の相関関係が認められました。

LC/MS および GC/MS による代謝物の包括的な分析

補足的に LC/MS および GC/MS 分析法を使用し、網羅される代謝物の範囲を広げ、イネ種子から合計 383 種類の代謝物を同定しました。また、GeneSpring の Agilent Mass Profiler Professional (MPP) モジュールを用いた差分解析により、低レベルガンマ線に曝露されたイネ種子で 50 種類の代謝物を特定しました。差次的に発現したこれらの代謝物は、イネのエネルギー、脂肪酸、アミノ酸、ヌクレオチド、および二次代謝パスウェイに属していました。放射線に曝露された種子では、細胞壁タンパク質の重要な成分であるアミノ酸のプロリンが大幅に発現上昇し、その上昇率は +17.5 倍でした。プロリンは、有害な環境効果により誘発される遊離基から細胞を保護するうえで重要な役割を果たし、その蓄積状況は、植物のストレス耐性を示す有効な指標となります。

パスウェイを中心としたマルチオミクスデータ統合による植物防御メカニズムの解明

GeneSpring/MPP 13.1 のマルチオミクス解析 (MOA) モジュールを使用して、遺伝子発現データとメタボロームデータを統合しました。その結果、2 つのオミクス間で複数のパスウェイにおいてエンティティがオーバーラップしていることがわかりました (表 1)。また、2 種類の代謝物 (リノレン酸および 12-オキソ-フィトジエン酸 (12-OPDA)) が、アルファ-リノレン酸代謝パスウェイに属する ACX 遺伝子とともに発現上昇していました。このパスウェイは、植物のストレス反応に関係するホルモンであるジャスモン酸の生成に関与しています。以上より、遺伝子の調節と代謝物との間に正の相関関係があることは明白であり、このことから、イネ種子が放射線に対して十分に調整された防御機能を持つことが明らかになりました。今回の調査結果は、マルチオミクスアプローチが、複雑な生物学的メカニズムの解明に有効な手段であることを示唆しています。

パスウェイ 遺伝子発現 代謝物
一致した
エンティティ数
パスウェイの
エンティティ数
一致した
エンティティ数
パスウェイの
エンティティ数
プリン代謝 3 132 2 92
ペントースリン酸パスウェイ 2 48 1 35
硫黄代謝 1 35 1 29
システインおよびメチオニン代謝 4 85 3 57
アルファ-リノレン酸代謝 3 33 1 40
ピリミジン代謝 2 112 1 66
グリシン、セリン、およびトレオニン代謝 3 55 2 51
スフィンゴ脂質代謝 2 22 1 25
アミノアシル-tRNA 生合成 2 114 4 52
アルギニンおよびプロリン代謝 2 63 3 90

表 1. イネの遺伝子発現データと代謝データ間でのパスウェイにおけるオーバーラップエンティティ

アジレントは、生物学の統合ソリューション

複雑な生物学的データから意味のある解釈を引き出せるよう、アジレントは、ゲノミクストランスクリプトミクスプロテオミクスメタボロミクスなどマルチオミクス研究用のツールやソフトウェアを提供しています。Agilent GeneSpring 13.1 バイオインフォマティクスソフトウェアを利用すれば、パスウェイを中心としたマルチオミクスデータ統合をすばやく実行することができます。

今回の調査の詳細については、アプリケーションノート 5991-6416EN の全文をご覧ください。Agilent GeneSpring マルチオミクスワークフローを用いた植物由来サンプルの遺伝子発現と代謝物の分析について詳しく説明しています。また、アジレントのプラットフォームとソフトウェアツールを組み合わせた統合オミクス解析が、ストレス下の植物に起こる主な事象の解明に非常に有効なアプローチであることが示されています。アジレントは、本記事のもとになったこのアプリケーションノートの全すべての著者に感謝いたします。