Access Agilent 2016年7月号

FTIR イメージングの新たなライフサイエンスアプリケーション: 空間分解された分子情報の疾病研究への活用

Mustafa Kansiz 博士および Carolina Livi 博士、アジレント FTIR 顕微鏡 & バイオインフォマティクスサイエンティスト

ハイスループットのオミクス技術の時代には、膨大な情報がもたらされるようになりました。いまや、ビッグデータプロジェクトは、単一細胞領域にまで浸透しています。この分野では、組織における空間的差異や特異的プロファイルの細胞タイプについて理解することが明らかに重要となっています。

フーリエ変換赤外 (FTIR) イメージングは、ほぼ 15 年間に渡って分析化学の多くの場面で重要なツールとして活用されてきました。また、近年では、ライフサイエンス分野の研究でも重要な役割を果たすようになっています。FTIR イメージングでは、広い視野が数ミクロンに空間分解された、サンプルの 2D ケミカルスナップショットが迅速に得られます。

FTIR イメージングは、がんや神経変性など一般的な加齢性疾病の研究に広く利用されています。この記事では、FTIR イメージングによる生物医学研究を専門とする Klaus Gerwert 教授、Peter Gardner 教授、および Kathleen Gough 教授の研究成果を取り上げます。

図 1. FTIR イメージングワークフローは、既存の IHC 病理学メソッドと一部共通しています。

図 1. FTIR イメージングワークフローは、既存の IHC 病理学メソッドと一部共通しています。

図 2. まずランダムフォレスト (RF) によってさまざまな組織タイプと病理学的領域が検出されます (左)。腫瘍領域のスペクトルが第 2 の RF に転送され、これによってがん細胞の悪性度が判断されます。悪性度 2 の腫瘍の H&E 染色サンプルと IR スペクトルイメージの重ねイメージでは、赤、緑、および青の 3 色がそれぞれ悪性度 1、2、および 3 を示しています (右)。

図 2. まずランダムフォレスト (RF) によってさまざまな組織タイプと病理学的領域が検出されます (左)。
腫瘍領域のスペクトルが第 2 の RF に転送され、これによってがん細胞の悪性度が判断されます。
悪性度 2 の腫瘍の H&E 染色サンプルと IR スペクトルイメージの重ねイメージでは、赤、緑、および青の3 色が
それぞれ悪性度 1、2、および 3 を示しています (右)。(The Royal Society of Chemistry の許可を得て転載)

世界的な人口高齢化により、人の健康、特にがんや神経疾患に対する研究がますます活発化しています。従来、この研究ではゲノミクス、プロテオミクス、およびメタボロミクス手法が重要な役割を果たしてきましたが、それを支援する重要な分析ツールとして、新たに FTIR イメージングが用いられるようになっています。これは、FTIR イメージングが、高分子についてマイクロスケールの空間分解能を持つ化学的情報を迅速に提供するという独自の機能を備えているからです。

疾病研究には、ホルマリン固定パラフィン包埋 (FFPE) 組織の分析が不可欠です。一般に、疾病組織のイメージング測定には、ヘマトキシリン・エオジン (H&E)、免疫組織化学 (IHC) などさまざまな染色法が用いられています。これらの染色法により、特定の解剖学的構造や疾病を示すその他の特徴を示す空間的分子情報が得られます。通常、このような染色法による評価および解釈は、訓練を受けた組織病理学者が可視光顕微鏡下で行います。ところが、この解釈は主観的なものであるため、医師によって大きなばらつきが生じることも珍しくありません。FFPE サンプルを用いるアプリケーションは、組織の切片化から疾病の悪性度判断の研究まで幅広く、対象となる疾病組織も前立腺がん、乳がん、大腸がん、肺がんなど多岐に渡ります。

FTIR イメージングでは、サンプルのイメージが非破壊的に得られ、染色の必要もありません。また、適切なキャリブレーションと機器の学習アルゴリズムにより、幅広い組織タイプと疾病状態を自動的に特定することができます。この自動化により、疾病の悪性度判断から主観性を排除し、より定量的に評価を行えるようになります。さらに、この手法は既存のサンプル前処理プロトコルに適合しているため (図 1)、従来の染色法と併用する場合も病理学ワークフローにそのまま組み込むことができます。病理組織学への FTIR イメージングの応用は、「スペクトル病理組織学 (SHP)」と呼ばれています。

Gerwert 教授らが先日発表した論文 [1] では、FTIR イメージングを用いた 2 段階の予測スキーム (「ランダムフォレスト」による数学的キャリブレーションモデルを使用) について明らかにしています。このスキームでは、まず大腸がん組織が解剖学的タイプに分類され、次に別の分類子 (モデル) により腫瘍領域の悪性度が判断されます (図 2 を参照)。この分類はすべて自動的に行われ、染色や人的介入または評価を必要としません。この手法では、固有の化学的情報と、FTIR イメージングにより検出および視覚化されたサンプルのコントラストが使用されます。

図 3. 組織学スペクトルデータベースの作成に使用された TMA の H&E 可視イメージと 2 つのコアの拡大図 (a)。胸部 TMA の FT-IR ケミカルイメージの疑似カラー分類イメージ (緑 = 上皮、紫 = ストロマ、赤 = 血液、オレンジ = 壊死) (b)。拡大されたコアをもとに組織学モデルを作成しました。各コアは直径 1 mm で、ca. 26000 IR スペクトルで示されています。独立した試験データセットについて出力されたランダムフォレスト分類子の受信者動作特性曲線 (ROC) (c)。独立したサンプル試験セットから得られた分類結果を示しています。

図 3. 組織学スペクトルデータベースの作成に使用された TMA の H&E 可視イメージと 2 つのコアの拡大図 (a)。
胸部 TMA の FT-IR ケミカルイメージの疑似カラー分類イメージ (緑 = 上皮、紫 = ストロマ、赤 = 血液、オレンジ = 壊死) (b)。
拡大されたコアをもとに組織学モデルを作成しました。各コアは直径 1 mm で、ca. 26000 IR スペクトルで示されています。
独立した試験データセットについて出力されたランダムフォレスト分類子の受信者動作特性曲線 (ROC) (c)。
独立したサンプル試験セットから得られた分類結果を示しています。
(Paul Bassan、Joe Mellor、Jonathan Shapiro、Kaye J. Williams、Michael Lisanti、および Peter Gardner の許可を得て転載しています。
転載元: Transmission FT-IR Chemical Imaging on Glass Substrates: Applications in Infrared Spectral Histopathology
(ガラス基質での透過 FT-IR イメージング: 赤外線スペクトル病理組織学への応用).
Anal. Chem. 86(3) (2014) 1648–1653). Copyright (2016) American Chemical Society)

図 4. コントロールおよびトランスジェニックマウスの脳における脂質およびクレアチンの分布の月齢推移。トランスジェニックマウスでは、特に若い月齢でクレアチンの濃度が高くなっています。右: 脳 (灰白質)、脳内のクレアチン (純クレアチンと脳の混合)、および純クレアチンの代表的な FTIR スペクトル。

図 4. コントロールおよびトランスジェニックマウスの脳における脂質およびクレアチンの分布の月齢推移。
トランスジェニックマウスでは、特に若い月齢でクレアチンの濃度が高くなっています。
右: 脳 (灰白質)、脳内のクレアチン (純クレアチンと脳の混合)、および純クレアチンの代表的な FTIR スペクトル。

先日、Gardner ら [2] により、FTIR イメージングと大きな組織マイクロアレイ (TMA) サンプルを用いた前立腺生検組織の自動ハイスループット評価が示されました。このメソッドでは、上皮、平滑筋、リンパ球、血液、壊死領域など、重要となるさまざまな組織構造を正確に予測 (97~100 % の精度) できました (図 3 を参照)。また、この研究は、これまで不適と考えられていたガラス基質での FTIR イメージ測定の先駆けとなり、ガラスを透過する唯一のスペクトル領域である高波数スペクトル領域のみを使用して、重要な組織タイプを識別することができました。

これらの結果は、組織の品質管理ツールとしての FTIR イメージングの可能性に直結するものであり、その使用の大きな推進力となっています。FTIR イメージングにより、核酸 (DNA/RNA)、タンパク質、または代謝物を分析するオミクス研究の前に、適切な組織タイプが存在することを確認できます。

脳組織への細胞蓄積を調べるアプリケーション (固定および非固定) も報告されており、活発に調査が行われています。神経科学アプリケーションでは、例えば FTIR イメージングをアルツハイマー病の研究に利用することで、細胞および細胞以下のケミカルイメージが得られます。FTIR イメージングにより、プラーク、脂質、クレアチン形成をはじめ多様な組織タイプを識別できる他、脳腫瘍の進行を調べることができます。

FTIR イメージングを用いた神経科学研究の第一人者である Gough 教授 [3] は、脳組織の化学的分布、特にプラーク形成との関係およびクレアチンと脂質との関連性を調べるために、アルツハイマー病のトランスジェニックマウスモデルを研究しました (図 4 を参照)。FTIR イメージングにより、染色法では困難な多様な成分の分布と関連性に関する化学的情報が直接得られました。

FTIR イメージングは、超広視野および超高倍率のイメージングを実現する光学系などの分野で進化し続けています。また、データ収集および処理プロトコルが最適化された最新の PC における計算能力の向上により、「ビッグデータ」解析も進化しています。これらの進化と最近の重要な科学論文は、FTIR イメージングが、ライフサイエンスワークフローに役立ち、その一部として導入することでサンプルの品質評価を改善し、また多様な生体系の研究に貢献する新たなツールとなるレベルに到達していることを裏付けています。