リピドミクス: 新たなツールとアプリケーションがここからはじまる

Nigel Skinner
アジレントセグメントマーケティングマネージャ、ライフサイエンス研究

リピドミクスは、細胞/組織/器官/生物の全脂質成分を体系的に研究する分野です。マススペクトロメトリー (MS) は、現在のリピドミクス研究でもっとも広く認められている技術の 1 つです。MS 技術は、リピドームと呼ばれる生体系の脂質の総体を構成する、無数の脂質分子の同定および定量に用いられます。

リピドミクス研究の発展

図 1. リピドミクス研究の発展(図を拡大)
 

リピドミクス研究の発展

図 1. リピドミクス研究の発展

脂質は酵素により生成および代謝されますが、酵素は与えられた生体系の環境の影響を受けます。たとえば、食事や温度などの影響があります。リピドーム内の固有の化学物質の数は、10,000~100,000 とも推定されています。現在では、エネルギー恒常性、膜構造およびダイナミクス、シグナル伝達といった生命のあらゆる側面において、多くの点で脂質の重要性に関する認識が高まっています。脂質代謝のバランスの乱れは、さまざまな表現型や病態に関係していることから、脂質代謝およびシグナル伝達経路を標的とする薬剤の数も増えています。例としては、コレステロール降下薬 (スタチン) やシクロオキシゲナーゼ阻害薬などがあります。創薬研究分野では、癌や代謝性疾患などの疾患研究において、ホスファチジルイノシトール 3-キナーゼ、核ホルモン受容体、スフィンゴシン、セラミドキナーゼといった多くの標的の特異的な調節因子の特定に対する関心が高まっています。現在では、生物学的に重要な脂質の多くをきわめて日常的に分析することが可能になっていますが、リピドミクスはゲノミクスやプロテオミクスに比べると、まだ新しい分野といえます (図 1)。

発見的リピドミクスの理解

脂質は化学的多様性が大きいことから、タンパク質に比べると MS の相違が大きくなります [1]。そのため、1 回の実験で細胞または組織のリピドームを包括的に測定するのは困難です。「探索的」リピドミクスは、広く利用されるようになっているアプローチです。このアプローチでは、一連の脂質の非ターゲット分析により、実験サンプルセットと対照データサンプルを比較して、存在量に統計的有意性がある脂質を特定します。その後、特定された脂質の化学構造を測定します。こうしたメソッドには、飛行時間型 MS の特性である高い質量精度と分解能が求められます。その後、分析対象イオンのフラグメンテーションにより同定を行います。フラグメンテーション経路の分析により、脂質中の各種構成成分 (脂肪酸、スフィンゴイド塩基、頭部基など) 間の「結合」に関する詳細な情報が得られます。また、こうした分析は、特徴的なフラグメントイオンをもとにプリカーサ脂質を特定する「ショットガン」リピドミクスの基盤にもなります [2]。

脂質とその代謝物は、多くの細胞機能を総括しています。そのため、エネルギー恒常性は脂肪酸代謝と密接に結びついています。また、脂肪酸は多くの細胞脂質の主要構成成分でもあります。癌細胞は脂肪酸をもとに膜合成および脂質シグナル伝達を行っていることから、脂肪酸シンターゼは、治療のターゲットとなる可能性を秘めています。この既知の脂質「シグナル伝達」ネットワークは、特にヒトの疾患で大きく拡大する傾向があります [3]。

探索的脂質研究において意味のある答えを得るためには、MS だけでなく、ケモインフォマティクス、バイオインフォマティクス、統計解析などの機能や、幅広い脂質データベースを用いた検索プログラムを備えた特別なデータ解析ソフトウェアも必要です。Agilent リピドミクスワークフローガイド [4] では、Agilent Mass Profiler Professional ソフトウェアや、アジレント製以外の脂質データベースプログラムの使用を案内しています。このアプローチを使えば、一般的な質量スペクトルデータ解析および同定プログラムよりも効率的に、研究上の疑問に対する意味のある答えが得られます。

発見から洞察へ

「探索的」アプローチで得られる一般的な分析上の情報としては、リテンションタイム、質量電荷比 (m/z)、フラグメントイオンに関するデータなどがあります。「ターゲット」分析では、脂質の特性や強度に関する情報が得られます。一般的なインフォマティクスフレームワークには、データ処理 (ピーク積分、識別、標準化)、統計解析、KEGG (京都遺伝子ゲノム百科事典) などの経路への統合が含まれます。経路解析では、脂質を生物学的プロセスや条件と関連付ける事が出来ます。PREMIER Biosoft International 社の SimLipid は、包括的な脂質データベースを迅速に検索できる脂質検索プログラムです。アジレントと PREMIER Biosoft の協力により、MS および MS/MS レベルの脂質同定が統合され、アジレント独自の Compound Exchange Format で SimLipid ソフトウェアを使える構成になっています。これにより、各種のアジレントプログラムと SimLipid の間で、脂質アウトプットデータをシームレスに移動させることが可能になっています。

次なるフロンティア: イオンモビリティ質量分析

分子形状に関する情報と質量/電荷比を組み合わせたイオンモビリティ質量分析 (IMS) は、まだ脂質分析に広く応用されていません。生物物理学研究では、脂肪酸の二重結合により二重層における脂質の構造が決定されることがわかっています。この構造特性が衝突断面積に影響を与える可能性もあります。また、イオンモビリティは、頭部基の形状 (これはリン酸化反応およびグリコシル化の影響を受けます) の影響を受けると考えられています。そのため、IMS を活用すれば、別の方法では得るのが難しい貴重な情報が得られる可能性があります。

統合生物学のためのリソースとソリューション

アジレントは、統合型のマルチオミクス探索的研究や統合生物学に力を注ぎ、包括的なサンプル前処理法LC カラムクロマトグラフィー消耗品を提供しています。最近の進歩としては、パスウェイ解析を中心としたマルチオミクスデータ統合のために設計された最新バージョンの GeneSpring バイオインフォマティクスソフトウェアがあります。 Agilent インテグレイトバイオロジーソリューションメタボロミクスリソースの詳細を今すぐご確認ください。

References

  1. E. Fahy et al. J. Lipid Res. 46, 839 (2005).
  2. M. R. Wenk. Nat. Rev. Drug Discov. 4, 594 (2005).
  3. M. P. Wymann R. Schneiter. Nat. Rev. Mol. Cell Biol. 9, 162 (2008).
  4. Anon. Agilent Lipidomics Workflow Overview. Agilent Technologies, Inc. Publication number 5991-1644EN (2012).